The first slope

 

 

―――オレ、天使。そう、エンジェル。オレの仕事は、人間が幸せになるためのアドバイスをしてやる事。

今までいろんな所をいろんな時代にパトロールして来たけど、今の時代は、未だかつてない位に乱れてる。

この街だってそうだ。金に飢え、欲にまみれた大人たち。子供だって、罪を犯さなきゃ生きていけない程追い詰められてる。

だけど、救いようがないからって仕事をサボる訳にはいかない。

どうせ働くなら楽しいほうがいいだろ?

さて、今日はあの子供を幸せにしてやろうかな・・・。

 

 

―――「人は皆、平等である」

どこかの政治家がほざいた言葉だ。「平等」という言葉が、今のこの状況を示すなら、そんなふざけた言葉はない。

 

見たところ12歳くらいの少年は、物心ついた時から、弟と2人きりだった。自分たちの名前なんて、とうに忘れた。

周りから聞いた話では、昔、大きな戦争があって、かなりたくさんの人が死んでしまったそうだ。

きっと、両親もそれに含まれていたのではないかと思う。

戦争が始まるという時、せめて子供たちだけでも、と集団で違う街に連れて来られたらしい。それがここである。

「戦争で死ぬのがかわいそうだからって、こんな所で生きていく事になるんなら、地獄のほうがましだ」

少年が育ったのは、比較的戦争の被害を受けていない場所だった。

被害が少ないからといって平和かと言われれば、全くそうではない。

他の街から食料や仕事を求めてやってくる移住者と、彼らを雇う資本家、つまり『金持ち』との格差が広がっていて、

暴動なんかが起こったりするのも珍しくはない。

少年も、弟を食べさせてやる為にも何か仕事をしようとしたが、店もどこも人でいっぱいだった。

カルマの坂を登ってすぐある、『金持ち』の家にも行ったが、そこは特にひどい扱いで、やはり雇ってはくれなかった。

実際に会ったのは執事だけだったが、一瞬すれ違った、食べ物になんて当然困っていなさそうな、主人であろう太った男に対して

覚えた憎しみが、胸に残っている。

今でも、カルマの坂はあまり好きな場所ではない。

その傍にある市場では、剣を造る音、木を削る音、人々の話し声、少なくなった食料を高値で売りつけるパン屋の女主人の甲高い声が特に大きく響いていた。

家も持たない少年たちが、すぐに空腹を満たせるのは、パンだった。

少年は、商品を求めて群がる大人たちの中を、掻き分けて進んでいく。

最前列まで行き、人の隙間からそっと両手を伸ばす。

弟の分と、自分の分。2つの小さなパンをしっかり手に取って素早く隙間から引き抜き、大事に抱いて、風のように走った。

後ろから、あの甲高い声が追いかけて来ている気がしたが、少年は振り向かない。

同年代の子供にだって、大人にだって、追いつかれない自信があった。

市場の人ごみの中を、駆け抜けていく。もう少しだ。もう少しで腹を空かせている弟が待っている場所に辿り着く。

だが、しばらく走りながら、今日は異様に人の流れが悪いことに気づいた。行列が道を塞いでいるようだ。

早く市場を抜けたい少年は、少し迷惑そうに行列の人々を見た。

その瞬間、1人の少女に目を奪われ、立ち尽くした。

今まで感じたこともない、胸が躍るような、しかし焼け焦げるような、そんな気持ちになった。

ふと我に返った時、聞き覚えのある甲高い声が「あれは、また遠い街から売られて来たんだねぇ」と言っているのが聞こえた。

それを聞いて、さっきまで踊っていた胸を、ナイフが刺したかのように痛くなった。

少年はあまり言葉について詳しくはないが、「人が売られる」という意味も、大人の会話の中から何となく分かっていた。

気が付けば行列は通り過ぎて、カルマの坂を登って行った。

少年は、さっき感じた想いと、今感じている痛さとの間で、どうしようもなく苦しくなった。

だが、その苦しみを言葉にする術を知らない。行列のいなくなった道を、叫びながら走った。

遠くでは、剣を造っているのだろう、金属音が頭をまとわりついて離れない。

 

弟が、待っている。